けんこうだいいち

じぶんをつなぎとめる、ひびのきろく

210108

 

 

夜寝る前と、朝起きて、すこし不安になる。なんとなく、夜の不安な気持ちが大きくなって、SNSの通知を、ごく一部の人以外全部オフにする。アプリの右側に、広告であろう通知のバッジがポンポンと増える。夜寝る前に落ち着いて開封する。そして布団に潜る。けど、友人が「今日も生きてたから偉い」と言ってくれるので、今日の私は「偉い人間」としてここにいる。それだけでいい。

私はショートスリーパーなのだけど、今週はきちんと寝れていて目覚ましで起きることも増えた。いつも目覚ましより一時間くらい先に起きていたから、これはすごいことだと思う。

 

日々の焦燥感が少しずつ落ち着いてきている。

去年、と言いつつも、つい数日前は、「朝起きて好きな音楽を聴く」ということが当たり前だったけど、なんだか心が落ち着いてからは、それすら幸せなのだと自分に言い聞かせることが出来ている。

怒るのもしんどいので、会社でも周りにめちゃくちゃ優しく、穏やかに過ごせている。普通に皆今までも優しかったけど、自分が優しい気持でいるだけで、今まで以上に周りも優しい気がしてきて、逆に申し訳なさすら感じてくる。

今まで「この人とは絶対に分かり合えないから、もうこの先可能な限り関わりたくない」と思っていた人にすら、世間話をして労いの言葉をかけれるようになった。自分でもびっくりしたけど、これは成長なのだと思うと、なんだか自分自身を褒めてあげたい気持ちになった。

 

 

私の元々の上司だった人は、役員からパワハラまがいの扱いをされ、数か月前から突然休職している。私もパワハラの火の粉をかぶっていて、一時期は会社に行くのに体調が悪くなっていた。

上司が休職して、上司と同い年の管理者が上司代理となり、私の上司になった。

その上司代理が、とても人間のできた、人情のあるおっちゃんで、その人と関わっているととても学ぶことが多い。張り詰めた厳しさみたいなもんじゃなく、もっと優しくて暖かい、自分以外の人を受入れ、許す強さや、家族みたいな人間付き合い。

私が酷い言われようをされて気に掛けてくれたのも、心配してくれたのも、対策を打ってくれたのも、とても嬉しかったし、今でも時間を見つけて世間話をしては、「同い年の娘と話しているみたいだ」と笑って相槌を打ってくれる。

娘さんは関東にいるらしく、「いつか彼氏でも連れて挨拶に帰ってくるんやろうなあ」なんて上司が言うから、こっちが感極まって泣きそうになった。

自分が本当に駄目な時に救ってくれた人、ある種の恩人、というのには、出来る限り全力で心尽くしをしたいものだ。本当に駄目な時にこそ、ちゃんと守ってくれるという安心感があるからこそ、仕えることも出来るし、頑張れるのだと実感する。

 

正月前までは、その上司に愚痴を言っては宥めて貰っていたけど、この一週間は上司に教えてもらった労いの心とか、相手を思いやる、自己中心的に話をぶつけない、みたいなことを考えながら話している。本当の父親も、こんな存在なんだろうか、なんて考えている。

上司が「この一週間は、長かったやろ」と声を掛けてくれた。私は本心で「人と関わって、話していると気持ちが落ち着くので、あっという間でした。むしろ連休が長くなりそうでどうしようって感じです」と言った。今の自分は、人と関わることが、自分を成長させる訓練みたいなものだから。会社に行くことは心地が良い。周りの優しい人たちに感謝をしよう。

 

 

相変わらず、折角買った手帳には日々のやることがパラパラ書かれているだけの状態だけど、これは超高級なメモだから、と思うと、それはそれで気楽でいいなと思える。

 

なんだか、ここまで来るのにとても長い時間を要したなと思う。けど、自分の中で「納得すること、諦めること、手放すこと、護ること」をするだけで、いくらか生きやすい世界になるんだなと感じた。

去年の誕生日から髪を切っていない。髪質がいいのと、テキトーながらもケアをしているので、半年以上切らなくても伸びるだけでみっともない感じにならないのが、自分の髪の最高な所だと思っている。

けど、今春からは、私は新しい事業の新しい会社に、出向する予定だ。さすがに、いくら髪が綺麗でも、長すぎは気味が悪いから、気分転換に、…そうだな、3月までには切ろう。

 

春からは、春からも?出来ることを着々と、確実にやっていって、心地よく生きたい。

あと、事業を起こした先輩の努力と賢さから沢山学んで、人として社会人として強く生きていけるようになりたい。なんとか、新年仕事始め一週目が終わった。よく生きた自分。